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2026/07/20
【0.01ミリの継承】第7話「初めて任された段取り」

※これは丈本精機を舞台にした機械加工の現場で、技術と人が少しずつ受け継がれていく物語(フィクション)です。
翌朝、工場には少し早く新見理玖の姿があった。
大型旋盤の前には、昨日加工を止めた丸物部品がそのまま載っている。
仕上げはまだ先だ。今日は別の小さな部品を使って、理玖が段取りの一部を任されることになっていた。
もちろん、ひとりで加工するわけではない。
豪田徹が横につき、成瀬課長も少し離れた場所から見ている。
それでも、理玖の手にはいつもより力が入っていた。
任されることが嬉しい。
けれど、その嬉しさと同じくらい、怖さもあった。
「緊張してるな」
豪田が言った。
「はい。かなり」
「緊張するくらいでちょうどいい。怖くなくなった時が一番危ない」
理玖はうなずき、図面を作業台に置いた。
今回の部品は、大型旋盤で使う治具の一部だった。
大きな仕事ではない。だが、外径、内径、面取り、長さの確認が必要で、基本を覚えるにはちょうどいい。
成瀬課長が声をかけた。
「新見、まず何を確認する」
理玖はメモ帳を見ずに答えようとした。
「図面、材料、加工順、測定具……あと、チャックのつかみ代です」
「いい。では始めよう」
理玖は材料を手に取り、図面と照らし合わせた。
材質、長さ、外径。
ひとつずつ確認していく。
グエンも近くで見ていた。
今日は手を出さず、理玖の作業を見る役だった。
「ゆっくりでいい」
グエンが小さく言った。
理玖は笑ってうなずいた。
材料をチャックにくわえ、軽く締める。
芯を確認し、刃物の位置を見る。
教わった通りに進めているつもりだった。
だが、豪田が低い声で言った。
「止まれ」
理玖の手が止まった。
「どこが変だと思う」
理玖はチャック周りを見た。
材料、つかみ代、刃物の位置。
すぐには分からなかった。
焦りが顔に出る。
「分からないなら、分からないと言え」
豪田の声は厳しかったが、怒っているわけではなかった。
理玖は息を吸った。
「分かりません。教えてください」
豪田は材料の端を指差した。
「つかみが浅い。これで削ると、ビビるかもしれない。場合によっては危ない」
理玖は顔が熱くなるのを感じた。
やっぱり自分はまだ何も見えていない。
一瞬、そんな考えが浮かんだ。
「すみません」
「謝るより覚えろ。今止まったからいい。動かしてから気づくよりずっといい」
成瀬課長が横から言った。
「新見、今のは失敗じゃない。確認の途中だ。段取りは、間違いを加工前に見つけるためにある」
理玖はその言葉をメモ帳に書いた。
「段取りは、加工前に間違いを見つけるため」
グエンが隣でうなずいた。
「大事」
もう一度材料をくわえ直し、つかみ代を確認する。
芯を見て、刃物の逃げを確認し、測定具を準備する。
理玖の動きは、さっきより少し遅くなった。
だが、その分だけ確かになっていた。
豪田が機械の横に立つ。
「よし。まず端面を軽く当てる」
理玖はハンドルに手をかけた。
刃物が材料に近づく。
金属に触れた瞬間、小さな切粉が出た。
大きな加工ではない。
派手な音もしない。
けれど、理玖にとっては初めて、自分の段取りで削り始めた瞬間だった。
加工が終わると、理玖はすぐに測定具を手に取った。
寸法を測り、図面と見比べる。
「どうだ」
豪田が聞いた。
「範囲内です」
理玖の声に、少しだけ力が戻った。
豪田は部品を手に取り、面を確認した。
「悪くない」
その一言で、理玖の肩から力が抜けた。
完璧にできたわけではない。
けれど、止まって、聞いて、直して、最後まで進めることはできた。
成瀬課長が言った。
「任せるというのは、放っておくことじゃない。見ながら任せる。確認しながら任せる。そうやって少しずつできる範囲を広げていく」
理玖はうなずいた。
工場の奥では、大型旋盤が静かに構えていた。
昨日まで見上げるだけだった機械が、今日は少しだけ近く感じる。
高杉圭次は、事務所の入口からその様子を見ていた。
人が育つ瞬間は、大きな成果として見えるとは限らない。
小さな部品を削る手。
分からないと言えた声。
止まって確認できた判断。
その一つひとつが、次の仕事につながっていく。
理玖は完成した部品を作業台に置き、もう一度図面を見た。
まだ覚えることは山ほどある。
でも、今日の一つは、自分の中に残った。
大型旋盤の音が、午後の工場にゆっくりと戻っていった。
第8話へ続く

